WEKO3
アイテム
初期仏教における修善と省察
https://doi.org/10.57426/00001214
https://doi.org/10.57426/00001214cb0cf666-603f-4eda-9463-411f5a3f91e7
| 名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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| Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||||||
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| 公開日 | 2018-06-21 | |||||||||||
| タイトル | ||||||||||||
| タイトル | 初期仏教における修善と省察 | |||||||||||
| タイトル | ||||||||||||
| タイトル | The Benevolence and Reflection in Early Buddhism | |||||||||||
| 言語 | en | |||||||||||
| 言語 | ||||||||||||
| 言語 | jpn | |||||||||||
| キーワード | ||||||||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||||||
| 主題 | 初期仏教修善 | |||||||||||
| キーワード | ||||||||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||||||
| 主題 | 省察 | |||||||||||
| キーワード | ||||||||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||||||
| 主題 | 内観 | |||||||||||
| キーワード | ||||||||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||||||
| 主題 | 善知識 | |||||||||||
| 資源タイプ | ||||||||||||
| 資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||||||
| 資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||||||
| ID登録 | ||||||||||||
| ID登録 | 10.57426/00001214 | |||||||||||
| ID登録タイプ | JaLC | |||||||||||
| 著者 |
香月, 拓
× 香月, 拓
× KATSUKI, Taku
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| 抄録 | ||||||||||||
| 内容記述タイプ | Abstract | |||||||||||
| 内容記述 | 本稿は、「初期仏教における修善と省察」をテーマとして、パーリ語文献や阿含経典を読み解いたものである。釈尊在世時、世俗に生きる者としての孝敬、優婆塞・優婆夷としての三宝への帰依・五戒・十善、比丘・比丘尼としての戒・定・慧などの善行が見られた。しかし、このような善行に努めた者にしか輪廻からの解脱が叶わなかったということでなく、悪行を為した者にも解脱に至る道が開かれていた。そこで重要なのが省察である。悪行を為した者にとっては、省察こそが解脱に至る第一歩であった。もちろん、善行に努め励んでいる者にとっても省察は重要な実践であった。これは現代における「努力」と「振り返り」という二つの関係性と同様であるといえよう。さらに、省察が「自己を内観し確立する」という仏教の本来性に至るために必要な出あいについて考察を試みる。 | |||||||||||
| 書誌情報 |
仁愛女子短期大学研究紀要 号 50, p. 39-42, 発行日 2018-02-28 |
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| 出版者 | ||||||||||||
| 出版者 | 仁愛女子短期大学 | |||||||||||
| ISSN | ||||||||||||
| 収録物識別子タイプ | ISSN | |||||||||||
| 収録物識別子 | 09138587 | |||||||||||
| 著者版フラグ | ||||||||||||
| 出版タイプ | VoR | |||||||||||
| 出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||||||||